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<2009年10月>公約仕分けで政権運営を―有権者は白紙委任したのではない

 民主党、社会民主党、国民新党による連立政権が発足した。連日のように発表される新政権の政策には今までの常識を覆すものも多いが、国民の支持率は高く総じて好意的に受け取られていると見るべきだろう。新政権の最大の役割は「官僚主導から政治主導」への変革であり、その具体的な表れとして個々の政策があると考えれば、一つ一つは大きな驚きではないのかもしれない。

 「官僚主導」とは、一部の官僚と族議員による政策の意思決定メカニズムである。これが、周辺の天下り機関や特定の民間企業との不透明な癒着を生み出し、社会全体にとっては合理性を欠く政策判断があったことを否定できる人はいないだろう。

 国民は主権者である自分たちの手に意思決定権を取り戻したいと願い、2005年の総選挙では小泉構造改革に大きな期待を寄せたが、その後政権は、不透明なプロセスでたらい回しされるだけで結果的に構造は変わらず、構造改革の負の部分だけが強調される結果になった。

 かくなるうえは政権交代により意思決定権を取り戻したい。有権者はまさにその点を求めたのではないだろうか。確かに、すでに「官僚主導」からの脱却は進んでいる。事務次官会議の廃止、政務三役による政策決定、天下り人事の凍結などは、従来は発想もできなかったことである。

 だが、新政権に誤解してほしくない点がある。上記の通り、今回の選挙で示された民意は、特定少数者による意思決定システムからの脱却と、国民が主権者として行動できる意思決定システムの構築である。

 言い換えると、「官僚主導」からの脱却の行き先は、国民が透明なプロセスで参加できるという意味での「政治主導」であり、一部の与党議員と今後生み出される可能性のある一部の新政権寄りの官僚、企業人、団体の利益代表による「政治家主導」の意思決定ではない。

 もし、政権の座にあることで白紙委任されていると誤解し(もしくは悪用し)自己の主張に固執するなら、従来と変わらない。

 この点で大いに懸念している点がある。それは、公約至上主義である。公約は約束であり守るべきものというのは筋である。だが、大半の有権者にとっての今回の選挙の最大の目的は政権交代であり、膨大な数の公約のすべてに対して支持を与えたわけではあるまい。

 そこで、「公約仕分け」を提案したい。新政権では国の事業の無駄を省くために事業仕分けの手法を導入すると言われている。そのこと自体画期的なことであり、大いに進めてもらいたい。

 だが、現在の公約は将来の事業である(中止するものも含めて)。過去の事業の必要性を現段階で再評価して仕分けるというのであれば、公約も同様に客観的評価の俎上(そじょう)に載せて仕分けるべきである。すると、将来の事業は以下に大別されるであろう。

 公約どおり進めるべきもの
 公約は正しいが、過去の経緯等により現時点で実施することによって生じる弊害が大きすぎるために、実施しないもの、あるいは生じる弊害はあるがそれを上回る公共的利益があるので実施するもの
 公約に誤りもしくは不十分な点があり、一部を修正したり、取り下げるもの
 公約にはない、あるいは明示的でないので、現時点で国民に提案するもの
 主要な公約を以上の基準で仕分けていけば、本当に政権が交代した意味があることを国民が実感できる。その際、方法に注文がある。

 第一に、特定の仕分け人ではなく多くの人が意見を表明できる機会を与えることである。その意見は開示され意見自体も評価される仕組みが重要である。究極には国民投票も含まれる。

 第二に、仕分け人の主観ではなくできるだけ定量的に効果を示すことである。同じ政策目的を達成するのになぜ公約が優れているのかを示す。反対者も同様に代案を示す。数字は万能ではないが、理にかなった議論の手がかりになる。

 確かに、(2)、(3)は、政治的にはダメージの伴う判断である。今までの常識ではありえなかった。だが、上記の二つの視点を持ち続ける限り、国民は十分に納得すると思う。仮に、公約違反だけを理由として批判する者がいるなら、逆に、その者が世論の支持を失うであろう。今、国民の政治意識は、非常に高いのである。 
 著者:根本 祐二(公民連携専攻長)