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<2009年12月>事業仕分けが明らかにした公共サービスの挙証責任とPPPの必要性

 連日メディアをにぎわした2010年度概算要求の事業仕分けが終了した。従来、明らかにされていなかった公共サービスの中身が国民の前に明らかになったというインパクトの大きさは改めて指摘するまでもない。実際、各種世論調査でも事業仕分けの支持率は高い。

 一方、「時間が短い。1時間で判断できるはずがない」という指摘も多かった。確かに、専門知識のない人間が、短時間に本当に正しい判断を下せるのかという疑問はある。

 「短い時間では仕分けできない」という主張の裏には、仕分けする側に仕分けの根拠を求める、つまり、仕分け人が挙証責任を負っているという考え方があるように思う。さらに言えば、説明者側に予算を使う権利があり、それを削減するならば具体的に明快な理由を示せという既得権を前提にした考え方とも言える。

 選挙期間中に、テレビ番組でマニフェストの財源を問われた民主党幹部が、徹底的に無駄を省くつもりと答えたところ、論争相手の与党議員が、「無駄があるなら具体的にお示しいただきたい」と指摘していた。だが、実際に予算を使う側にいない限り、具体的な無駄を簡単に示せるものではない。第三者が挙証責任を負うという発想に立った瞬間、行財政改革は壁に突き当たる。

 事業仕分けはまったく逆だ。1時間の間に質疑を行って得た仕分け人の心証が優先する。つまり、1時間で説得できるかどうかの責任を説明者側に転換したのである。説明者が責任を負うなら、仕分け人に対して「1時間で判断できるのか」と抗議するのは筋違いである。このような劇的な挙証責任の転換は、従来には考えられなかった。

 だが、こうしたことは民間の世界では当然である。ある起業家が、ベンチャーキャピタルに投資を申し込んだ状況を想定してみよう。厳しい質問に1時間答えても結局投資してもらえなかったとしても、悪いのはベンチャーキャピタルだろうか。ベンチャーキャピタルは投資家のお金を預かっており、厳しく判断するのが当然だ。「1時間で納得しない方が悪いので投資すべきだ」という理屈はありえない。

 お金を使う側が挙証責任を持っているのである。事業仕分けも同様の構造である。お金を出すのは国民である。説明者側が国民の税金を使いたいのであれば、仕分け人を納得させる責任がある。09年衆院選で、国民が民主党に期待した最大の点は、従来、特定の官僚と政治家が事実上独占していた政策決定過程を、国民に取り戻す可能性を見いだしたからである。事業仕分けはその象徴的政策であるがゆえに国民の支持を得たのだ。

 さて、心配な点が2点ある。第1は、最終的な判断を政府が行う点である。現行の仕組みを考えれば当然ではある。だが、その意思決定が不透明なブラックボックスに入っていつの間にか復活していたということはないだろうか。事業仕分けを単なる政治ショーや国民の不満解消に終わらせてはならない。国民は自分の意思の反映を望んだのだ。仕分け結果の帰趨(きすう)に厳しい監視の目を光らせてゆきたいと思う。

 第2は、仕分け結果の実現である。縮減、見直し、廃止、いずれも具体的な方法論を伴わなければ実現できない。その点では、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)は極めて有効な方法である。米国、英国、フランスなど各国で多くの手法が考案され、今や政策実現の不可欠なツールとして財政健全化と地域再生に役立っている。

 先日、わずか4人の公務員で人口10万人の都市を運営しているサンディ・スプリングス市(米国ジョージア州)を実現した当事者を招聘(しょうへい)して国際シンポジウムを実施した。市長・市議会による政策決定を、実にこまごまとした民間の工夫の積み重ねで実現し、従来型の都市の予算の52%(同じPPP方式を用いている5都市平均)に抑えている。今後は、ありとあらゆる知恵を参考にしていかなければならないだろう。 
 著者:根本 祐二(公民連携専攻長)