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<2012年04月>受益者市民から負担者市民へ、そして経営者市民へ

 筆者は、行財政運営や公共施設管理などを検討する地方自治体の第三者委員会委員として地方行政に触れる機会が多い。厳しい財政事情を考えて、あるサービスの改革を進めようとすると必ず浮上するのが、サービスによって直接利益を受ける住民の反対である。議員が先頭に立って反対することも多い。反対される前から尻込みする行政はさらに多い。

 先日もあるテレビ番組で、老朽化した地区体育館の維持が困難であるとして廃止を打ち出した行政に対して、「(行政の主張は)財政的にはそうかもしれないが、『心』がない」と反対する住民の声が放映されていた。「地域を切り捨てる強い危機感を感じる」とも主張していた。利用者は新たに建て替えを求める署名運動を展開し、多くの署名を行政に届けたという。

 公共サービスが住民のためにある以上、当然に主張する権利がある。今までは、その声に耳を傾け要望をかなえるのが立派な市長だった。議員はきめ細かくニーズを拾い上げて行政にぶつける。市長はニーズを満たすどころかニーズを先取りして公共サービスの量を拡大した。選挙のたびに拡大競争が生じて、より多くのサービスを公約する候補者が当選してきた。そして財政が肥大化した。今や、国と地方の借金残高は先進国中群を抜いて悪い。

 財政悪化によって、新しいサービスを展開するどころか、現状のサービスの維持すら困難になった。先述の体育館の地区には類似施設がある。不便にはなるが機能がなくなるわけではない。市長は詳細な分析の上で税金を負担しているすべての住民、そして将来の住民のための決断をしたのだが、残念ながら利用者は聞く耳を持っていないようだ。だが、「心」がないとした利用者は、皆が自分の利益を主張して収拾がつかなくなったり、老朽化した学校施設の建て替えが後回しにされるかもしれない事態に「心」があると言うのだろうか。危機感を訴えた利用者は、なぜ自分ではなく将来世代の危機感に配慮してあげられないのだろうか。

 市民には二つの顔がある。受益者市民と負担者市民である。今まで行政は受益者市民の声しか聴いてこなかった。そしてごく一部の受益者市民の声を市民の声と称していた。受益者市民の要望を満たすのは目先は楽だが、右肩下がりの社会では持続できない。負担者市民の意見を聴かずに市民の声とは言えない。まずは、受益と負担の実態を数字で公表すること、受益者市民の声だけを聴くことがいかに不合理かを示し、負担者市民の沈黙を破るのだ。

 だが、受益と負担を極端な対立軸で捉えると政治的な対決となり、政治的に動きやすい受益者市民の声が通ってしまいかねない。受益者市民と負担者市民はいずれか一方が常に正しいのではない。バランスをとるのが経営者市民である。負担によってどのような利益を得たいのか、受益に見合う負担の程度とは何かを考える。そして実行する。

 長野県に下條村という山村がある。自主財源のほとんどない小さな村だ。国は公共下水道を推奨したが頑として受け入れず、10分の1の負担ですむ合併処理浄化槽方式を採用した。また、生活道路は週末自分たちが資材を使って舗装するという方式を編み出した。村民は村長の方針を理解し支持した。将来に負担を残さないため自分たちが負担することにしたのだ。立派な経営者市民である。

 この教訓を小さな村の出来事と矮小(わいしょう)化してはならない。経営者市民としての意識さえあれば、いかに人口の大きな地域でもできることはあるに違いない。
 著者:根本 祐二(公民連携専攻長)